フランスマスタードの興亡 マイユ MAILLE と アモラ AMORA 、その生誕と歴史 

 フランス人の殆どが忘れてしまっている話があります。「現在ディジョン・マスタードのシェアNO1であるマイユ MAILLEは、かつてパリのマスタード会社であった」こと。そして「ディジョンのマスタード会社とパリのマスタード会社が200年に渡ってライバル関係にあり、そのパリのマスタード会社の筆頭がマイユ MAILLEであった」ことを。

 地元ディジョンの人達もこの話をすっかり忘れてしまっています。むしろ否定します。何故ならブルゴーニュ地方のディジョンのメインストリートにはマイユ MAILLEのショップがあり、そこには「アントワーヌ・マイユ、1747年創業」と書かれているからです。その看板を見ると1747年からディジョンのその場所でマイユ MAILLEがマスタードをつくっていると勘違いしてしまいます。どのフランス語の資料にも、マイユ MAILLEは1747年にパリで創業したと書かれていますが、かつてパリに多数あったマスタード会社は既に消滅していて、今ひとつ頭の中でイメージできない。地元の人達ですらそんな感じですから、世界中からディジョンに来る観光客が勘違いするのは当然でしょう。

フランス、ディジョンのマイユ MAILLEの売店、看板には、1747年アントワーヌ・マイユが創業と記載
ディジョンの目抜き通りにあるMAILLEの直営店 看板には、1747年アントワーヌ・マイユが創業と書かれている

 世界中の先進国で、食品調味料の筆頭は塩とコショウ。このトップ2はゆるぎませんが、3番目は各国で異なります。フランスではマヨネーズとマスタードがその座を争っており、マスタードはフランスではとてもポピュラーな存在です。そしてフランスで流通しているマスタードの大部分はディジョン・マスタード。しかし、その歴史はフランス国内でもよく知られているとは言えません。ガストロノミーを「売り」にしている国にもかかわらずです。今回の内容は、フランソワーズ・ドクロモン達学位を持つ歴史家の著作をベースにまとめました。「アモラ社とマイユ社の歴史はディジョン・マスタードの歴史そのもの」といっても過言ではありません。現在は英蘭系多国籍企業ユニリーバ社の傘下ですが、もともとは別々の会社でした。少し複雑な説明になりますが、グレイ・プーポン社を含めた3つのマスタード会社の歴史をお読みいただければ幸いです。

1978年にアモラAMORAに吸収された フランス Charles Dumont シャルル・デユモンのマスタードの広告看板
Charles Dumont社の広告看板 ディジョン・マスタードの歴史は吸収合併の歴史。この会社も1978年頃アモラAMORAに吸収された

アモラ AMORAの歴史

フランス、アモラ AMORAのディジョンマスタード

 アモラの歴史は、1703年フランソワ・ネジョンがディジョンでワイン・ヴィネガー工房の親方となり、マスタードを製造したことに遡ります。その息子ジャン・バプティスト・ネジョンは、Verjus ヴェルジュ(★後述)を使い、よりまろやかでフレッシュ感のある長期保存が可能なディジョン・マスタードをつくりました。このマスタードの成功により、ネジョン家はディジョン・マスタードの世界において確固たる地位を築きます。このネジョン家の末裔であるアルマン・ビズアールが1919年にアモラAMORAの商標をディジョンの裁判所に登録します。但し、彼はアモラの商標を使用しませんでした。アモラの名が世に出たのは1931年、アルマン・ビズアール社がレイモン・サショ氏 (1902-1993) に売却された後のことです。

 レイモン・サショはダイナミックに事業を拡大し、現代的なマーケティングや広告宣伝をマスタードの世界に応用した最初の人物でした。社名を堅苦しいアルマン・ビズアールからシンプルなアモラAMORAに変更。工場も一気に近代化。当時普及してきたトラックの荷台に目を付け、200台にアモラの広告宣伝を描いたり、マスタードの容器を伝統的な陶器から消費後にコップとして再利用可能なガラス瓶にしたり、画期的なことを次々と打ち出しました。1931年にレイモン・サショが会社を買収した当時、ディジョン・マスタードのシェア1位はグレイ・プーポン GREY-POUPON社、2位はパリゴ PARIGOT社。アルマン・ビズアール社は3位でしたが、1939年には生産量が倍増し、業界トップとなる程の急成長を遂げました。この時期、レイモン・サショ率いるアモラ社は、ジャン・エルブ率いるパリのマスタード会社マイユ MAILLEと激しい競争を繰り広げました。第二次世界大戦後、AMORAはマスタードだけでなく、ピクルス、ケチャップ、マヨネーズ等の製造も行うようになり、巨大な企業となっていきます。

 1960年代、エドモン・ド・ロッチルド・グループに入り、その後ダノンなどの傘下に入ります。1979年にはマイユMAILEと同じグループになり、1999年にユニリーバの傘下に入りました。2009年、ディジョン市内にあった工場を郊外のシュヴィニー・サン・ソヴルに集約。ディジョン市内に残る最後のマスタード工場閉鎖だったため、「1870年には39の工房がディジョン市内でマスタードを生産したが、次第に集約され、ついに消滅!」とメディアに大きく取り上げられました。現在アモラ&マイユ社は「グラン・ディジョン(ディジョン市とその郊外を含むエリア)」にある シュヴィニー・サン・ソヴル Chevigny-Saint-Sauveur でディジョン・マスタードの生産を続けています。

フランス、アモラの前身アルマンビズアール社の広告ポスター
アモラAMORAの前身アルマン・ビズアール社の広告ポスター 画像引用:GALICA Bibliotheque nationale de France

アモラが生産しているサヴォラ(SAVORA)、ピカリリ(PICCALILLI)の記事

マイユ MAILLEの歴史

 マイユの歴史はパリで始まります1711年パリのヒロンデル通り rue de l’hirondelle でヴィネガー業を開始。そのヴィネガーがマルセイユでのペスト騒ぎで使用された記録があります。1747年アントワーヌ・クロード・マイユがパリのサンタンドレデザル通り rue Saint-André-des-Arts にマスタード店をオープン。この時期既にアンチョビ、ケイパー、エストラゴン、トリュフ入り等、24種類の異なったマスタードを販売していたようです。この店がフランスだけでなく欧州各国の王室御用達となります。フランスではヴェルサイユ宮殿のポンパドール夫人やルイ15世に納入した記録があり、「欧州トップのマスタード製造業者」と言われるようになりました。この18世紀からパリとディジョンはフランス最上のマスタードの地位を争っていました。マイユは19世紀後半から複数の投資家の手に渡った後、1930年から1952年頃までボルドーの著名ワイナリー、シャトー・ムートン・ロッチルドのオーナーであったフィリップ・ド・ロッチルド男爵が所有していました。後年、ボルドー・メドックのシャトーの格付けを唯一変更させたことで名高いロスチャイルド家の人物です。彼は低迷しかけていたマイユにジャン・エルブ氏を呼び、大規模な投資を行い、生産ラインを近代化し、マーケティング戦略も行い、会社のイメージを変えていきました。現在のマイユの黒いエチケットはジャン・エルブの発案です。この時期、レイモン・サショ率いるディジョン・マスタードのアモラ社と、ジャン・エルブ率いるパリ・マスタードのマイユ社はライバル関係にありました。

マイユ MAILLEのディジョンマスタード

 1952年にアンドレ・リカールとジョセフ・プポンに買収されたマイユは、ディジョンのマスタード製造業者グレイ・プーポン Grey-Pouponと合併。生産拠点は徐々にディジョン近郊に集約されていきます。この時期からマイユはディジョンでつくられるマスタードになり、1979年には長年のライバルであったアモラ AMORAと同じグループとなりました。現在欧州のアモラとマイユの商品はディジョン郊外のシュヴィニー・サン・ソヴル Chevigny-Saint-Sauveur の同じ工場でつくられ、日本にも輸出されています。

 ディジョンのメインストリート、リベルテ通り32番地にマイユの直営店があります。世界で一番有名なマスタード・ショップで、ディジョンの観光名所にもなっています。訪問された日本人の方も少なくないでしょう。現在看板に「アントワーヌ・マイユ、1747年創業」と書かれていますが、これはパリでマイユが創業した年です。ディジョンの話ではありません。そして様々な資料に「マイユが1845年頃にディジョンにお店を開いた」と記述されており、マイユが19世紀中盤からディジョンでマスタードを製造していたように想像しがちですが、これは後述のグレイ・プーポン Grey-Pouponが1845年に開いたディジョンの店の話で、マイユの話ではありません(*)。実際、このディジョン・リベルテ通りのマイユ Maille 直営店は、1981年頃までグレイ・プーポン Grey-Poupon名の看板で営業しており、現在のようにマイユの名を冠した直営店になったのはそれ以降です。ネット上に古い時代の写真が沢山残っており、「grey poupon boutique」とネットで検索し、「画像」を選択すれば、往年のお店の写真を見ることができます。

* フランスには、不思議なルールがあります。例えば、1900年創立のA社が、1800年創立のB社を合併・吸収等をした場合、「A社は1800年創立」と言うことがあります。フランスの古い会社の歴史を丁寧に調べると、こういうことが時折あります。合併・吸収した相手側の会社・お店の創立が古いと、その古い年号も吸収して使用していいようです。

グレイ・プーポン Grey-Pouponの歴史

 その歴史は1777年創立のマスタード工房ドマルトレ Demarteletに遡ります。後年モーリス・グレイ Maurice Greyによって買収され、1845年にディジョンのリベルテ通りにショップを開きます。彼はマスタード生産の機械化、近代化を進めた功労者として名前が残っており、そのディジョン・マスタードは評判が高く、ナポレオン3世のご用達にもなりました。その後資金的な問題から同じディジョンのオーギュスト・プーポン Auguste Pouponの資本が入り、グレイ・プーポン Grey-Pouponが1866年に誕生しました。20世紀初頭、ディジョン・マスタードのシェアNO1はこのグレイ・プーポン社でした。

フランス、Grey-Poupon グレイプーポンのDijon Mastarde ディジョンマスタード

 1952年にパリのマイユ MAILLEを買収。1979年にアモラ AMORAと同じグループとなったグレイ・プーポンは、フランスで見かけることはなくなり、輸出用ブランドになっていきます。現在欧州向きはディジョン郊外シュヴィニー・サン・ソヴルのアモラ&マイユの工場で造られ、アメリカで流通している商品はライセンスを持つクラフト・ハインツ社のペンシルヴァニア工場で製造されています。特にアメリカでは1970~80年代に大きく普及し、グレイ・プーポンのブランドは欧州よりもアメリカ市場で大きな成功を納めています。

ディジョン駅から見える グレイプーポンのマスタード工場跡
Dijonの駅裏にある建物 往時ここにGREY-POUPONの工場があり、生産されたマスタードがフランス中に鉄道で運ばれた。今は看板の跡が残るのみ。

アモラ&マイユ社以外の大手ディジョン・マスタード・メーカーの歴史

まとめ

 如何でしたか。マイユは元々パリのマスタードで、アモラがディジョンのマスタードの本流なことがわかって頂けたかと思います。ライバル関係にあったパリのマイユが買収され、後日ディジョン・マスタードのメイン・ブランドになったのです。実際ディジョンのブルゴーニュ生活博物館 にあるマスタードの歴史的な展示には、アモラやグレイ・プーポンのものはありますが、パリから来たマイユのものはありません。現在のユニリーバ社の戦略は、高級感のある黒いエチケットのマイユ、親しみやすいエチケットのアモラ、フランスの三色旗をイメージした海外向けのグレイ・プーポン、それぞれのブランドに役割をもたせています。

 1996年パリにマイユの直営店ができました。これは1747年パリに開店したマイユのショップの250周年を記念したものです。1950年代から50年近くマイユはパリに直営店がなかったのですが、それがパリの中心、マドレーヌ広場に復活したのです。こちらがマイユの本来の居場所といって差し支えありません。現在、黒いエチケットのマイユのマスタードを世界中に広める役割を果たしています。

★ Verjusヴェルジュについて

 ヴェルジュは、現代では「遅れて熟すブドウやその果汁」或いは「ワインヴィネガー全般」を指しますが、マスタードの歴史においては、「Le Verjus というブドウ品種」を指すことが多いようです。かつて北フランスを中心に多く栽培されましたが、晩熟で酸度が高いこのブドウ品種は一般のワイン造りには今一つ。でも、マスタード造りには重宝されたのです。結局19世紀末のフィロキセラ禍でほぼ消滅。ブドウ品種のコレクションとして残されています。最近シャンパーニュのランス大学で、樹齢300年の樹からブドウが収穫されたことが話題になりました。このVERJUSの解釈はフランスの公的な文書でも混同が多いので、ご注意ください。品種としてのVERJUSに興味のある方は「VERJUS CEPAGE」と検索すれば情報が出てくると思います。

参考文献
Françoise Decloquement ≪ Petit traité savant de la Moutarde ≫ (2004)  

Françoise Decloquement ≪ Moutarde en Bourgogne ≫ (2002) 

Bénédicte Bortoli ≪ Moutarde ≫ (2020)   

Musée de la Vie Bourguignonne – Perrin de Puycousin ≪ MOUTARDE A DIJON ≫ (1984)

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