ヴィシー記事目次
▼ ナポレオン3世が愛した「湯治街の女王」ヴィシーと観光・旅情報、ガストロノミー
フランス中央部にあるヴィシーは、第二次大戦中にフランスの首都がパリから移ったことで知られています。かつて「湯治街の女王 Reine des villes d’eaux」として知られたこの街は、2021年7月にユネスコ世界遺産になりました。ヴィシーの歴史を辿りながら、観光・旅の基本情報、そしてガストロノミー、2005年にできた新しいチーズ:コンテスドヴィシー(ヴィシーの伯爵夫人)と、パスティーユドヴィシーというヴィシー市の源泉水を使用した飴を綴ります。
▼ ヴィシーのオペラ座(歌劇場)と パレ・デ・コングレ(コンヴェンション・センター)
かつて「夏の音楽の都」といわれたヴィシーのオペラ座(歌劇場)。20世紀初頭にアール・ヌーボ様式で建てられ、1482席のホールは黄金色で統一されています。隣にあるのはパレ・デ・コングレ。かつてカジノとして建設されたこの建物はヴィシーの象徴。アール・ヌーボ様式の傑作です。1995年からは見本市やコンフェランスの会場になっています。
▼ ヴィシー豪華ホテルの歴史とジョセフ・アレッティ フランスの歴史を変えた「ヴィシーのホテル王」
19世紀から20世紀前半、ヴィシーは世界中から人が訪れる欧州屈指の保養地・観光地でした。フランスの歴史を変えた「ヴィシーのホテル王」の業績を綴ります。
▼ ヴィシーの源泉ホール と ミネラルウォーター「ヴィシー セレスタン」
ヴィシー市内に湧き出る源泉セレスタンを試飲できます。この水はここから南東7km離れたSaint-Yorre村で瓶詰めされ、ミネラルウォーター、ヴィシーセレスタンとして世界中に出荷されます。
ヴィシーの中心部には美しいスイス風の別荘が6軒並んでおり、ナポレオン3世が湯治の際に滞在した別荘があります。
▼ ヴィシーのセヴィニエ侯爵夫人邸 と旧オテル・デ・セレスタン
書簡作家として有名なセヴィニエ侯爵夫人の名前を冠した邸宅で、ヴィシー政権下では元首フィリップ・ペタンの夏の住居となりました。旧オテル・デ・セレスタンは1929年にホテルとして建てられ、現在ではヴィシーの名物となっています。独特の細い建築。アールデコ風建築の傑作でしょう。
▼ ヴィシーのカステル・フラマン邸 Castel Flamand Vichy
1898年築。ヴィシーでは珍しいレンガを多用した建物で、壁面の多数の彫刻があります。当初はお供の人を連れてくるような大金持ち向けの高級レジダンスホテルでした。
ヴィシー市内には有名な教会が2つあります。サン・ルイ教会は彼が自腹でつくった教会として知られています。リウマチ等を患っていたナポレオン3世は湯治のため度々ヴィシーを訪れました。サン・ブレーズ教会は、17世紀に建てられた教会をベースに、戦間期にアールデコ調に改修。外観・内装共に非常にオリジナルな教会になっています。
▼ ヴィシー駅舎、市庁舎、中央郵便局、旧ブラッスリー・ラルハンブラ
ナポレオン3世がつくらせた鉄道と駅、パリ市庁舎スタイルのヴィシー市庁舎、アールデコ様式の郵便局を綴ります。
▼ ヴィシーのユベール・コロンビエ通り と 二コラ・ラルボー通り
ユベール・コロンビエ通りは、「ベルエポック期の様々な建築様式の総覧」と言われる有名な通りです。アール・ヌーボー、ネオ・クラシック、ネオ・ゴシック、ネオ・フラマン、折衷様式..。市内中心部の120m程の通りに約20軒ほどの住宅が並んでいて、大部分が歴史的文化遺産に認定されています。二コラ・ラルボー通りも市内中心部にあり、1930年代に建てられたアールデコ様式の住宅が立ち並びます。独特の出窓やバルコニーが印象的です。
▼ ヴィシーの住宅や建築 その1
▼ ヴィシーの住宅や建築 その2
▼ ヴィシーの住宅や建築 その3
ヴィシーの素晴らしいところは歴史遺産のような建築だけでなく、一般住宅に興味深いものが多いことです。19世紀から20世紀前半のフランス建築が存分に味わえます。