ナポレオン3世が愛した「湯治街の女王」ヴィシー と 観光・旅の基本情報
Vichy ヴィシーというフランス中央部にある街をご存知でしょうか。世界史に詳しい方は1940年から1944年までフランスの首都がパリから移ったことでご存じかもしれません。このヴィシーが2021年7月にユネスコ世界遺産となりました。「湯治街の女王 Reine des villes d’eaux」として知られたこの街は、19世紀~20世紀の様々なスタイルの建築が多数残っており、それが徒歩圏内に密集しています。著名な歴史的建造物だけでなく、一般の住宅を見ていてこれだけ興味深いフランスの街は他にありません。パリやリヨンから日帰り可能な街ですので、もっと知られてもいいでしょう。
アリエ川の畔に面したヴィシーは古くから戦略的な要衝であり、経済的にも栄えてきました。特に湯治の場として古代ローマ時代から知られており、中世以降も王侯貴族が湯治のために街を訪れていました。このヴィシーの街並みを大きく変えたのはナポレオン3世。リウマチ、腎臓結石等の病気を患っていた第二帝政の皇帝は、1860年代度々湯治にヴィシーを訪れました。その彼の命令で大規模な市街地改造が行われたのです。湯治の建物等だけでなく、鉄道&駅舎、教会、公園、カジノ&オペラ座、道路整備、堤防…今のヴィシーの原型はこの時につくられました。ドイツやイギリスの湯治の街に負けないような立派な街にしたいというのも皇帝の目的でした。彼のその功績を称えて、ヴィシーでは「ナポレオン3世祭り」が毎年行われています。
ナポレオン3世の第二帝政崩壊後も、ヴィシーは世界中から人が押し寄せる欧州屈指の保養地・観光地でした。ホテルやレストランも次々と整備されました。1940~1944年、ドイツ軍に占領されたフランスは、パリからヴィシーに首都を移転。ヴィシーの豪華なホテル群がフランス政府のオフィス兼住宅となったのです。
第二次大戦後、ナチスドイツ占領下にフランスの首都だったヴィシーにはネガティブなイメージがついてしまい、かつての繁栄を取り戻すことはできませんでした。そして1960年代に入り、人々の好みが変わっていきます。ヴァカンスを海沿いで過ごす人が増え、内陸のヴィシーは時代遅れの保養地・観光地となってしまいました。大部分のホテルは閉業し一般の商業施設や住宅になりましたが、建物の保存が行き届いているため、往時の面影を残しています。19世紀~20世紀前半の建築に興味のある方は必見の街でしょう。
観光のための基本情報
鉄道
パリ・ベルシー駅からインターシティー直行で約3時間。リヨンからも約2時間。
車
パリから車で約4時間。ヴィシー市内は車が多いので要注意。
ヴィシーとガストロノミー
ヴィシーの名産品といえば、まずはミネラル・ウォーター「Vichy Celestins ヴィシーセレスタン」でしょう。市街地の地下から湧き出る水で、塩味を伴った独特の味わいです。日本にも輸出されています。この詳細は別の記事にまとめてあります。
もう一つ有名なのは、ヴィシーの飴。「オー・マロカン AUX MAROCAINS」というナポレオン3世の時代からある飴職人の店も知られていますが、ヴィシーの有名な飴といえば、パスティーユ・ド・ヴィシー Pastille de Vichyという白い飴です。この飴の製造のポイントは炭酸水素塩やミネラル分を多量に含む地元の水が不可欠なこと。これがなければこの味にはなりません。
この飴は、化学者Jean-Pierre-Joseph d’Arcetによって1825年つくられました。当時は消化を促す薬として開発され、薬局でのみ販売されていました。19世紀中頃になると本格的に工場生産となり、現在のような八角形になっていきます。この時期、ナポレオン3世の妻ウジェニー・ド・モンティジョが好んだことから、上流階級に浸透していきます。
1914年以降、薬局以外でも販売ができるようになり、複数の生産者が現れました。第二次大戦後、約10の生産者がいましたが、次第に統合化が進み、現在は2つの会社のみがこの飴を地元で生産しています。
「Pastille Vichy (パスティーユ ヴィシー)」 19世紀前半にヴィシーのパスティーユを開発した会社の流れを汲んでいます。複数の所有者を経て、2017年にフランスの大手菓子グループ Carambar & Co.が買収。ヴィシー市の源泉の水を使用し、ヴィシー市内で製造。大手資本傘下で生産量が多く、スーパーマーケット等で見かけるのは通常こちら。商品パッケージは薄い水色が基調。レモン味やミント味もあります。
「Pastilles du bassin de Vichy (パスティーユ デュ バッサン ド ヴィシー) 」 こちらはヴィシー市の源泉水ではなく、ヴィシー市から南4kmにある オートリヴ Hauterive村の源泉 ロジェRogerの水を使用しています(工場もその村にあります)。「Pastille du bassin de Vichy」というのは「ヴィシー盆地(ヴィシー周辺地域)のパスティーユ」の意味です。1852年にヴィシーで飴屋として始まったモワネ Moinet社が、1932年に オートリヴ Hauterive村の源泉ロジェ Rogerを買収し、パスティーユの生産を開始しました。こちらの会社の方が後発で生産量が小さく、アルティザナルと言われています。ヴィシー市内に2軒、パリとクレルモン・フェランにも売店があります。商品パッケージは青と白のヴィシーチェック柄が多いです。
ヴィシーのチーズ、コンテス・ド・ヴィシー Comtesse de Vichy
「Comtesse de Vichy」は「ヴィシーの伯爵夫人」の意味。ヴィシー郊外のSociété Laitière de Vichy 社で熟成されているチーズです。生乳の白カビチーズで、「オーヴェルニュ地方のカマンベール」と言われています。550g、350g、180gの大中小3サイズあり、エピセア(もみの木)の樹皮で巻かれているので、独特なボワゼな香りがあります。今ではオーベルニュ地方全域で見つけることができるポピュラーなチーズになっており、フランス料理のレストランでも見かけることが増えています。水色の美しいエチケットが目を引きますね。
数百年の歴史あるチーズを見つけることができるオーヴェルニュ地方ですが、このコンテス・ド・ヴィシーは2005年につくられた新しいチーズです。フランス各地で経験をつんだ Jean-Luc Geninが2003年にヴィシー郊外のチーズ会社を買収(従業員4名の小さい会社でした)。当初経営は厳しかったようですが、新しいチーズ「コンテス ド ヴィシー」をリリースするプロジェクトは大成功し、販売は年々伸びています。2008年にはFromagerie des Pays d’Urféという サン・ジュスト・アン・シュバレSaint-Just-en-Chevalet村の工場を買収。チーズの生産を牧場の傍の村に集中させ、ヴィシー郊外のSociété Laitière de Vichy社はチーズの熟成に特化しています。
近年は日本でも入手可能になっています。是非お試しください。
ヴィシーと同じオーヴェルニュ地方のチーズ工房を訪問
ヴィシーの傍にあるワイン産地サンプルサン