フランス・ヴィシーの セヴィニエ夫人邸 と ヴィシーの旧オテル・デ・セレスタン

フランス・ヴィシーの セヴィニエ夫人邸 Pavillon Sévigné

ヴィシーの セヴィニエ夫人邸  Pavillon Sévigné
画像引用:Vichy-destinations

1624年頃に川沿いに建てられた邸宅で、現在パヴィヨン・セヴィニエ Pavillon Sévigné と名づけられています。1000通以上の手紙を残した書簡作家として高名なセヴィニエ夫人(セヴィニエ侯爵夫人マリー・ド・ラビュタン=シャンタル Marie de Rabutin-Chantal, marquise de Sévigné、1626 – 1696)が、1676年と1677年にリウマチ治療の湯治のため、この邸宅に滞在したという説に因んでの名前となっています。

決して大きな建物ではないのですが、20世紀前半にはヴィシー屈指の高級ホテルとなり、「ヴィシーのホテル王」と言われたジョセフ・アレッティが支配人を務めていました。第一次世界大戦時は他のホテル同様に臨時の病院。1940~1944年までのヴィシー政権下では、フランス元首マレシャル・ペタンの主な邸宅となりました。彼は夏は川沿いのこの邸宅で過ごし、冬は元首官邸のオテル・デュ・パルクHôtel du Parcで過ごしたそうです。戦後高級ホテルとして再開しましたが、1990年代に閉鎖。その後一般住宅になっています。
ミネラル・ウォーターで有名なヴィシー・セレスタンの源泉 Source des Célestins と同じ通りにあります。

Pavillon Sévigné
住所:50, Boulevard John Kennedy 03200 Vichy

ヴィシー・セレスタンの源泉 Source des Célestins の記事

フランスの歴史を変えたヴィシーのホテル王、ジョセフ・アレッティの業績

美しいユベール・コロンビエ通りが傍にあります

ヴィシーの旧オテル・デ・セレスタン Ancien Hôtel des célestins 

ヴィシーの旧オテルデセレスタン (リセデセレスタン)

建築家ジョルジュ・ボネGeorges Bonnetにより、1929年に豪華ホテルとして建てられました。アール・デコ風の傑作ですが、2つの道に挟まれた細い建築は、欧州の建築というよりは、ニューヨークのフラットアイアンビルディング (Flatiron Building) を連想させます。1940年~1944年のヴィシー政権下では内務省の建物になり、戦後は高校 Lycée des Célestins、その後中学校 Collège Les Célestinsとなっています。すぐ傍にミネラル・ウォーターで有名な、ヴィシー・セレスタンの源泉があります。

旧ホテル・デ・セレスタン Ancien Hôtel des célestins
リセ・デ・セレスタン Lycée des Célestins
住所:125 rue Maréchal Lyautey 03200 VICHY (1 Rue Gallieni 03200 Vichy)

 

ヴィシーの旧オテルデセレスタン (リセデセレスタン)
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