フランス・ヴィシー VICHY の オペラ座(歌劇場)と ヴィシーのコンベンション・センター パレ・デ・コングレ

ヴィシー VICHY の オペラ座(歌劇場)Opéra de Vichy

ヴィシー VICHY の オペラ座(歌劇場)の黄金のホール

 1860年代にナポレオン3世の命で建てられたコンサート会場が手狭になったため、20世紀初頭に現在のヴィシーのオペラ座がアール・ヌーヴォー様式で建てられました。コンべンション・センター(パレ・デ・コングレ)となっている隣の建物も含め、フランスの建築家Charles Le Cœurとベルギーの建築家Lucien Woogによるものです。フランスでアール・ヌーヴォー様式のオペラ座はこのヴィシーだけ。1901年から1964年まで「夏の音楽の都 ( capitale d’été de la musique )」と言われ、世界中から大勢の観客が訪れました。1935年9月4日にリヒャルト・シュトラウス本人がこのオペラ座で自作のオペラ「サロメ」を指揮したことを示す石板が建物に入口にあります。往時このオペラ座には常設のオーケストラがあったのです。
 このホールの最も特筆すべきは色調です。欧州のオペラ座、コンサートホールは赤を基調にしますが、ここは座席の色も含めて黄金色で統一。一般に「黄金のホール」といえばウィーン楽友協会の大ホール(グローサー・ザール)を指しますが、ヴィシーのオペラ座も負けず劣らずでしょう。3階席まで計1482席ありますが、席数の割にはコンパクトな印象を受けます。
このオペラ座はコンサート時以外にも一般に開放される時があります。一見の価値はありますので、ヴィシーの観光案内所に問い合わせてはと思います。

Opéra de Vichy
1 Rue du Casino, 03200 Vichy

ヴィシー観光案内所の公式HP

ヴィシーオペラ座の公式HP

同じ建築家Lucien Woogによるヴィシー・セレスタンの源泉のホール

ヴィシー VICHY の オペラ座(歌劇場)の座席
ヴィシー VICHY の オペラ座(歌劇場)正面
ヴィシー VICHY の オペラ座(歌劇場)2階席より
ヴィシー VICHY の オペラ座(歌劇場)の天井
ヴィシー VICHY の オペラ座(歌劇場)の廊下
ヴィシー VICHY の オペラ座にある石板:リヒャルト・シュトラウスがサロメを自作自演
1935年9月4日にリヒャルト・シュトラウスがこのオペラ座で「サロメ」を指揮したことを示す石板
ヴィシー VICHY の オペラ座(歌劇場)外観

ヴィシーのコンベンション・センター パレ・デ・コングレ Palais des Congrès

ヴィシーのコンベンション・センター  パレ・デ・コングレ Palais des Congrès

 1995年よりコンヴェンション・センターとなったこの建物は、もともと1865年にカジノとしてつくられました。アール・ヌーボ様式。20世紀初頭に改修され、大規模なGRAND CASINO(グラン・カジノ)になりました。当時は隣のオペラ座もこのグラン・カジノと一緒に運営され、大いに賑わいましたが、1960年代以降、人々が海沿いでヴァカンスを過ごすようになり、内陸のヴィシーは客足が減少。カジノは近くの建物へ移りました。1995年、この建物は見本市やコンフェランスを行うコンヴェンション・センターに改装されました。

Palais des Congrès
5 Rue du Casino, 03200 Vichy

ヴィシーのコンベンション・センター  パレ・デ・コングレ Palais des Congrès

 建物の前は、美しい公園となっています。Le parc des Sources、日本語にすると水源公園です。これ以外にも公園の多い街です。

ヴィシーの  パレ・デ・コングレ 前の公園
ヴィシーの  パレ・デ・コングレ 前の公園

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