フランスの歴史を変えた「ヴィシーのホテル王」ジョセフ・アレッティの世界

フランス中央部にあるヴィシーは中世から王侯貴族が湯治に訪れる街でしたが、19世紀~20世紀前半には世界中から人が訪れる欧州屈指の保養地・観光地となりました。ホテルやレストランも同時に整備。特に5つの豪華な大型ホテルを所有・経営したジョセフ・アレッティ Joseph Aletti(1864-1938)はヴィシーの名声を高めた人物として知られています。彼は南仏のカンヌやマントンで高級ホテル経営を学んだ後、1900年よりヴィシーのHotel du Parc オテル・デュ・パルクの支配人に。古色蒼然としていたこのホテルを短期間で再建、近代的なホテルへと変貌させました。 その後近隣に豪華ホテルを次々と開き、往時5つのホテル: Hôtel du Parc オテル・デュ・パルク、Hôtel Majestic オテル・マジェスティック、Hôtel Carlton オテル・カールトン、Hôtel Thermal オテル・テルマル、 Hôtel Radio オテル・ラディオ、で2500人以上の従業員(レストラン関係者700人を含む)が働く「ヴィシーのホテル帝国」を築き上げました。ホテルのサービスや食事に対しての要求は厳しく、自ら料理をチェックした逸話が残っています。

 第二次大戦時、フランスはドイツ軍に占領されました。1940年~1944年、フランスの首都はパリからヴィシーに移されました「なぜ、ヴィシーのような人口2~3万人の田舎の街が首都に選ばれたか?」 これはフランス史でしばしば問われる質問です。リヨン等複数の街が検討されましたが、最終的にヴィシーになった理由は、「パリに近く、パリ直通の鉄道駅があり、街が大きすぎないこと」、「政治的に住民が穏やかだったこと」、「世界中から来る湯治客のために電気通信機能が備わっていたこと」もありますが、パリの巨大な政府・行政機構を受け入れることができる近代的なホテルが一か所に多数あったことも大きいのです(当時、約270のホテルが市内にありました)。実際ヴィシー政権下では豪華な大型ホテルがフランス政府のオフィス&住宅だったのです。ジョセフ・アレッティは1938年に亡くなりますが、彼が残した豪華な大型ホテルがなければヴィシーが首都に選ばれなかったでしょう。彼はフランスの歴史を変えた「ヴィシーのホテル王」だったのです。

 1960年代以降、人々の湯治に対しての考え方は変わり、ヴィシーへの客足は遠のいて行きます。彼が開いたホテルも徐々に閉鎖され、一般住宅になっていきました。しかし、彼の名前を冠したHôtel Palace Aletti オテル・パラス・アレッティ(旧Hotel Thermalオテル・テルマル) が今もヴィシーで一番のクラシック・ホテルとして世界中からの顧客をもてなしています。

▼ Hôtel du Parc オテル・デュ・パルク

ヴィシーの Hôtel du Parc オテル・デュ・パルク

Hôtel du Parc オテル・デュ・パルク
  19世紀後半に建てられ、支配人ジョセフ・アレッティによって20世紀初頭に改修。豪華なホテルとなりました。その後1920年代にジョセフ・アレッティはオーナーとなり、さらに改修工事がなされました。1940~1944年、ヴィシー政権では国家元首達の官邸に。元首フィリップ・ペタンとその側近は3階(フランス式)、ピエール・ラヴァル首相は2階、政府高官が4階と5階、外務省が1階をオフィスとしました。戦後一般住宅に改修され現在に至ります。
 Hall des sourcesの斜め前 住所:21 rue du Parc 03220 Vichy

元首フィリップ・ペタンの夏の邸宅となった美しいセヴィニエ侯爵夫人邸 の記事

ヴィシーの Hôtel du Parc オテル・デュ・パルク
画像引用:Ville de Vichy

▼ Hôtel Palace Aletti オテル・パラス・アレッティ& La Villa Strauss ラ・ヴィラ・ストラウス

ヴィシーのホテル・アレッティ・パラス

Hôtel Palace Aletti オテル・パラス・アレッティと La Villa Strauss ラ・ヴィラ・ストラウス
 1905年にベルエポック調のHôtel Thermalがオペラ座の隣に建てられました。計129室(7室スイート)あり、裏手にプールを完備しています。ジョセフ・アレッティの5つの豪華な大型ホテルの中で唯一今も経営を続けており、彼の名前を冠したホテルになりました。時代は変わっても、クラシックなヴィシー・ホテルの頂点の地位は揺らがないでしょう。
 このホテルの隣には、La Villa Strauss ラ・ヴィラ・ストラウスという建物があります。1858年に建築家ユーグ・バティリア Hugues Batilliatによって建てられたこの小さなレンガ造りの建物は、初回と2回目のナポレオン3世の湯治の宿となりました(1861年と1862年の話)。ナポレオン3世は3回目以降は所謂「ナポレオン3世の別荘」を使用しました。Hôtel Palace Aletti オテル・パラス・アレッティ はLa Véranda ラ・ベランダというレストランを隣に併設しており、現在La Villa Strauss ラ・ヴィラ・ストラウスはそのレストランの建物の一部となっています。
 住所:3 rue du parc 03200 Vichy (3 place Joseph Aletti 03200 Vichy)

ナポレオン3世が3回目以降の湯治に使用したヴィシーの美しい別荘 の記事

ヴィシーのホテル・パラス・アレッティとラ・ヴィラ・ストラウス
ガラス張りの建物がレストラン La Verandaの入口。繋がっている右手のレンガ造りの建物が La Villa Strauss ラ・ヴィラ・ストラウス
 画像引用:La Montagne
ホテル・パラス・アレッティ正面

▼ Hôtel Majestic オテル・マジェスティック

ヴィシーのホテル・マジェスティック

Hôtel Majestic オテル・マジェスティック
 1907年、Hôtel du Parc オテル・デュ・パルクの別館として隣に建てられた豪華なホテル。ルイ14世風のスタイル。建築家はアンリ・ミニャンHenri Mignan。経営はジョセフ・アレッティ。当時は本館と別館が繋がっていました。第一次大戦時は軍病院、ヴィシー政権下では国家元首達の官邸となった本館の付属施設。戦後ホテルは再開したものの1970年代に閉鎖され、一般住宅に。1995年頃に大規模に改修工事がなされています。
住所:6 rue Petit 03200 Vichy

ヴィシーのオテル・マジェスティック

▼ Hôtel Carlton オテル・カールトン

ヴィシーの旧ホテル・カールトン
画像引用:La Montagne

Hôtel Carlton オテル・カールトン
20世紀初頭、ジョセフ・アレッティ自らオーナーとなり、改装、経営した豪華ホテル。公園を挟んで Hôtel du Parc オテル・デュ・パルク の対面になります。ヴィシー政権下では法務省、財務省。現在は一般住宅と商店になっています。
 住所:28 rue du Président Wilson 03200 Vichy


▼ Hôtel Radio オテル・ラディオ

ヴィシーの旧ホテル・ラジオ
画像引用:La Montagne

Hôtel Radio オテル・ラディオ
 このホテルは1913年に建築家Antoine Chanet アントワーヌ・シャネによって建てられました。当初はHôtel Ruhlという名称でした。翌年第一次世界大戦がはじまり、病院に。戦後ホテルを再開、ジョセフ・アレッティが支配人となりました。1937年には Hôtel Radio オテル・ラディオに名称変更。ヴィシー政権下では 空軍省、保健省等が使用しました。戦後一般住宅となり、現在では PALAIS DES PARCS として知られています。
 住所:15 boulevard de Russie de Russie, 03200 Vichy

ヴィシーのホテル・ラディオ
画像引用:Ministere de la culture

▼ Hôtel des Ambassadeurs オテル・デ・ザンバサデュール

旧ホテル・デ・ザンバサデュール

Hôtel des Ambassadeurs オテル・デ・ザンバサデュール  
 19世紀中頃に建設。1882年には客室200を持つ大ホテルでした。エレベーター、電話機、電気照明等、当時の先端の設備を次々と導入していった豪華なホテルとしても名高かったようです。第一次大戦時は軍病院、1940~1944年のヴィシー政権下では外交機関が置かれました。戦後ホテルを再開。1980年代に閉鎖。その後一般住宅となりました。 上記の Hôtel Palace Aletti の隣ですが、ジョセフ・アレッティは経営に関わっていません。
  住所:1, rue du Parc 03200 Vichy 

ヴィシーのホテルデザンバサデュール
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