DRC ドメーヌドラロマネコンティのオベール・ド ・ヴィレーヌ引退 新体制に

ドメーヌドラロマネコンティのオベールドヴィレーヌ

ドメーヌ ド ラ ロマネコンティ Domaine de la Romanée-Conti (DRC) の共同経営者として世界的に有名なオベール ド ヴィレーヌ Aubert de Villaine が、正式に引退を表明した。82歳となった彼は、2021年12月に縁戚のベルトラン ド ヴィレーヌにその席を譲った。今後はワイナリーの監査役として残る。AFPのインタビューを報道各社が伝えている。

ドメーヌ ド ラ ロマネ コンティはフランス ブルゴーニュ地方、ヴォーヌ ロマネ村にある家族経営のワイナリー。世界で最も高価なワイン、ロマネコンティをはじめ、ラターシュ、リシュブール、ロマネサンヴィヴァン等のワインを生産している。このワイナリーは現在ド ヴィレーヌ家とルロワ家により50%ずつ所有されている。

正式な引退に際し、彼はその過去を語っている。現在では信じられないことだが、彼が生まれた1939年当時、ドメーヌ ド ラ ロマネ コンティは全く利益が出ておらず、アリエ県に住んでいた父の農園の収益に頼っていたという。1965年彼がワイナリーに着任した時ですら、1サンチームも利益が出ておらず、初めて利益がでるようになったのは1972年のことだという。

若かりし頃の彼はワイナリーを継ぎたかった訳ではなく、高等教育の先生・教授の職を考えていた。しかし、1964年、後にカリフォリニアのワインの中心となるロバート・モンダヴィに触発され、ヴォーヌロマネのワイナリーを継承する道を選んだ。1974年からは父の後を継ぎ、ルロワ家のラルー ビーズ ルロワと共にワイナリーの共同経営者となった。

ブルゴーニュにおいて、ドメーヌ ド ラ ロマネ コンティはあらゆる分野でパイオニアであった。「ワイン造りの原点に戻る。」という考えに基づき、1990年代に馬による畑の耕作を開始した。既に1985年には有機栽培、2006年にはビオディナミを開始している。「化学製品を畑で使用すると土中微生物を殺してしまい、化学肥料が必要となる。これはテロワールの概念に反するものだ。」と言う。「原点に戻ることで、地球温暖化による気候変動にも対応可能だろう。」「ワインのスタンダード化を進めたロバート パーカーがブルゴーニュからいなくなったことで、テロワールに基づいたワイン造りがブルゴーニュに浸透した。」と話している。

「我々のワインが投機対象とならないように、誰が購入しているのか追跡できるシステムを導入している。ワインを投機対象としている人ではなく、ワインを飲む人に我々のワインが渡るよう努力している。この点で我々の仕事は完璧ではないが、努力はしている。」

2019年にルロワ側の共同経営者がラルー ビーズ ルロワの娘、ペリーヌ フナル Perrine Fenalに世代交代。ド ヴィレーヌ側の共同経営者も2021年にベルトラン ド ヴィレーヌ Bertrand DE VILLAINEに変わったことで、ワイナリーの歴史に新たなページをめくることとなった。オベール・ド・ヴィレーヌは、「ベルトラン ド ヴィレーヌは14年間自分と一緒に働いている。自分が引退しても、ドメーヌの哲学も仕事も、何も変わらない。畑の責任者は二コラ ヤコブ Nicolas Jacob と ディディエ デュボワ Didier Dubois。醸造・熟成の責任者は アレクサンドル ベルニエ Alexandre Bernier。これも変更はない。今回の世代交代は非常に穏やかだ。」と語っている。

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