2023年、ルイナール(リュイナール)は新作シャンパーニュの発表を行った。ブラン・サンギュリエ Blanc Singulier。これまでのルイナールのシャンパーニュとは異なり、デゴルジュマン時の糖分添加ゼロ のブリュット・ナチュール(Brut Nature)、或いはノン・ドゼ (Non dosé)と呼ばれる極辛口のシャンパーニュである。
因みに、サンギュリエ Singulier は日本語に訳すと「他とは異なる、特別な、特異な」の意味である。
ルイナールの歴史
ルイナール Ruinartの創業は1729年。現存する最古のシャンパーニュ・メゾンと長く言われてきた。最近、ゴッセ Gossetが1584年創業、最古のメゾンであると主張するようになったが、信頼に足る文献をまだ公開していないので、真相はよくわからない。いずれにせよ、ルイナールには300年近い歴史があることは確かだ。2029年には、ルイナールから創業300周年記念シャンパーニュが発売されるだろう。
20世紀前半のルイナールは、他のシャンパーニュ・メゾン同様、大きな困難を抱えていた。フィロキセラ後の混乱、第一次世界大戦時にメゾンの建物が爆撃、1930年代の大不況による販売不振、第二次世界大戦時にはドイツ軍にボトルが接収….。戦後ルイナール一族の必死の努力にもかかわらず、自力での再建は不可能であった。1950年代、シャトー・ムートン ロートシルトを所有するボルドーのバロン・フィリップ・ド・ロスチャイルド家が株式を50%取得していたこともある。1963年、ルイナールはモエ・エ・シャンドンに買収された。現在、シャンパーニュ最大のグループ、LVMH(ルイ ヴィトン モエ ヘネシー)のシャンパーニュ・メゾンの1つとなっている。
1963年にモエ エ シャンドンの傘下に入ったものの、それ以前から社長をしていたルイナール家末裔Bertrand Mureが共同経営者として1981年までメゾン・ルイナールの指揮をとっていた。彼にはルイナール・ソムリエ・コンクールを1979年に始めた等の功績がある一方、社内の改革には消極的で、メゾン・ルイナールの品質・評判は芳しいものではなかった。
1985年、ジャンフランソワ バロ Jean-Francois Barot がルイナールのシェフ ド カーブ(醸造・熟成責任者)として着任。彼がルイナールを品質・評価を大いに上げた。彼の功績としては次の2つが知られている。
- 「Gout de Ruinart(ルイナールの味)」を追求し、フレッシュ感、ボリューム、複雑さを調和させた現在のルイナール・スタイルを確立。そしてそれをメディアや顧客の前でプレゼンした。現代においては当たり前だが、1980年代、シャンパーニュ・メゾンのシェフドカーブは生産部門に特化し、表舞台に出てこない時代であり、非常に画期的なことであった。
- ルイナールのラインナップを6種類に整理し、現在に繋がるアッサンブラージュの原型をつくった。1985年にブリュット・トラディションをやめ、エール ド ルイナール R de Ruinart に切り替えた後、年号入りのエール ド ルイナール・ミレジメ R de Ruinart Millesiméをリリース。1994年頃にはロゼ Rosé、2001年頃には現在のブラン ド ブラン Blanc de blancをリリースした。彼の着任以前からあるドン ルイナール(1959年が最初のミレジメ)、ドン ルイナール ロゼ(1962年が最初のミレジメ)と加え、6種類のシャンパーニュで構成される現在のメゾンのラインナップを構築した。彼が2003年に引退した後、ジャン フィリップ ムーラン Jean Philippe Moulin(2007年迄)、フレデリック パナイオティス Frédéric Panaiotis(2007年以降)とシェフ ド カーブは変わったが、この6種類のラインナップは20年以上も変更がなされなかった。
つまり、ルイナールは300年近い歴史があるが、我々が現在イメージするルイナール・スタイルや6種のラインナップは、ジャンフランソワ バロ の時代につくられたと言っていい。
写真:ティラージュ後の瓶内二次発酵時、ドン・ルイナールには王冠ではなく、コルク栓を使用する。これもジャンフランソワ・バロが変更し、現在に至る。画像引用:Ruinart
新キュベ、ブラン・サンギュリエ Blanc Singulierとは
ジャンフランソワ バロ がつくったルイナール・スタイルとラインナップに、今回ブラン・サンギュリエ Blanc Singulierが加わることになる。そのルイナール側の説明をまとめると次のようになる。
- 地球温暖化に伴い、シャンパーニュ地方のシャルドネの生育サイクルが変わり、収穫時期が以前より早くなった。年によっては、シャルドネの一部で、香味が以前とは異なってきている。故に、それらのシャルドネを分けて醸造・熟成し、新しいキュベとする。
- 2015年頃から本格的に準備を開始。
- 100%シャルドネ。エディション18に関しては約20のパーセルからつくられる。
- ベースとなる年号を表示するが、その年のブドウは80%。20%はリザーブワイン( 2016年開始のレゼルブ・ペルペチュエル Réserve perpétuelle で、半分は大樽、半分はステンレス・タンクで熟成)。エディション Édition 18は、2018年がベースの意味。
- 毎年生産しない。暑い年限定で生産。
- アルコール発酵は温度調節器付きステンレスタンクで行う。マロラクティック発酵は100%行う。
- 瓶内二次発酵・熟成は36ヶ月行われる。これはルイナールのクラシックなブランドブランよりも6ヶ月~12ヶ月長い。
- デゴルジュマン時のドザージュは、原則ブリュット・ナチュール。
このような内容だ。これが中小のシャンパーニュ・メゾンなら、全く驚かない。でも、ルイナールは、LVMH(ルイヴィトンモエヘネシー)グループのシャンパーニュ・メゾンだ。モエ・エ・シャンドン、ドンペリニョン、ヴーヴクリコ、クリュッグ、メルシエを擁するシャンパーニュ最大手LVMHグループでは、今回のようなブリュット・ナチュールのシャンパーニュを継続的にリリースすることは初めての試みだ。
穿った見方かもしれないが、2013~2014年にルイロデレールが、ブリュット・ナチュールのフィリップ・スタルク 2006をリリースし、大成功を収めたことが刺激になっているのではと思う。これまで大手のシャンパーニュ・メゾンは、1980年代にローランペリエのウルトラブリュットが先駆的にあったぐらいで、ブリュット・ナチュールの極辛口シャンパーニュにはあまり積極的ではなかった。その理由は色々あるが、顧客の好みを分析することに長けたシャンパーニュ・メゾンなりの考え方なのだろう。シャンパーニュ最大手のLVMHグループが、技術的な理由があるにせよ、エクストラ・ブリュットを通り越して、一気にブリュット・ナチュールをリリースしたことは、ちょっとしたターニングポイントになるかもしれない。
「シャンパーニュ地方はフランスで最も北の産地であり、地球温暖化でむしろ恩恵を受けています。50年前は全くブドウが熟さない年がありましたが、今は毎年しっかり熟します。ただ、黒ブドウのピノノワールやピノムニエがしっかり熟すことはいいのですが、白ブドウのシャルドネに関しては黒ブドウほど恩恵を受けていないかもしれません。トロピカルフルーツのような香りのするシャルドネは、極上のシャンパーニュにはなりませんから。」
これは今回のルイナールから聞いた話ではなく、他のシャンパーニュの生産者達から聞く話なのだが、この辺りがルイナールの心配のポイントなのではと思われる。ランスにありながらシャルドネ・ハウスとして知られるルイナールは、温暖化による影響をより深刻に受け止めているのだろう。
ブラン・サンギュリエ Blanc Singulier のテイスティング
今回ブラン・サンギュリエのエディション Édition17とエディション Édition18を試飲した。
エディション18は、グレープフルーツ、バター、杏仁豆腐の香り。この年らしく骨太な味わいで、アフターはノンドゼとは思えない。元のブドウがしっかり熟したことがわかる。アルコール度数は12.5%だそうだ。
エディション17は、果実のフレッシュな香りよりも、アニスやバニラの香りが強い。味わいはエディション18に比べると、かなり軽く、アフターまで酸を感じさせる。こちらの方が一般のノンドゼのイメージに近い。
簡単にまとめるとこんな感じだ。試飲前にこのシャンパーニュの説明を受けたので、もっとエキゾチックなニュアンスのブリュット・ナチュールをイメージしたが、そうではなく、これまでのルイナールの延長線に収まっていた。
まとめ
「昔は収穫が9月~10月だった。この時期は非常に涼しいので、ゆっくり熟度が上がる。収穫に適した期間は長かった。今は地球温暖化で収穫が前倒しになり、未熟だったブドウが、夏の熱波の性で一気に熟してしまう。最適な収穫時期が僅か数日しかなく、収穫のタイミングを決めるのが以前に比べてとても重要な仕事になっている。しかし、熱波がどのタイミングでどの日数くるのか、事前には誰もわからない。」
これはフランスのどこの産地でも聞く話だ。特にシャンパーニュは手収穫が義務なので、収穫を急ぐ必要がある場合、深刻な問題に直面する。人手不足な時代においてはなおさらだ。
今回のルイナールのブリュット・ナチュールのように、「在来のキュベのスタイルに合わない完熟ブドウを、分けて醸造・熟成し、ブリュット・ナチュールやエクストラ・ブリュットのベースにする」という方法論は、地球温暖化に対応する1つの方法論だろう。これまでは主に小規模な生産者がこの方法論を採用していたが、今後大手メゾンでも追随する生産者が出てくるかもしれない。
フィリポナ Philipponnat やアヤラ Ayalaといったシャンパーニュ・メゾンも、ブリュット・ナチュールのシャンパーニュをリリースしているが、今回のルイナールのブリュット・ナチュールとは全く別物である。フィリポナやアヤラのブリュット・ナチュールは、クラシックな通常のブリュット用のボトルを地下カーブで数年追加熟成させ、丸みのある味わいにしてから、ドザージュなしで出荷している。既存のキュベと分けた醸造を行っていない。今回のルイナールのブラン・サンギュリエやルイ ロデレールのフィリップ・スタルクは、完熟したブドウを他と分けて醸造・熟成させてつくっている。方法論が大きく異なることに注意すべきだろう。
「ルイナールはこれまでマロラクティック発酵を100%行うスタイルでしたが、この先これを変更する可能性もあります。」
「近年リリースされているドン・ルイナールは、6g/L以下のドザージュです。エクストラ・ブリュットを名乗れますが、これまで通りブリュットと表示してきました。但し、今後エクストラ・ブリュットの表示にする可能性もあります。」
ルイナールのスタッフに言われた話だ。ルイナールが所属するLVMHグループはシャンパーニュ最大だが、その中ではルイナールは規模が小さく、小回りが利く。今回のブリュット・ナチュールにせよ、ちょっと尖った方法論が可能らしい。シャンパーニュの未来に興味があるならば、ルイナールの動向を注視する必要がありそうだ。
写真のドンルイナール 2010年はドザージュ4g/Lで、エクストラ・ブリュットを名乗れる 画像引用:Ruinart
※ 今回のルイナールのブラン・サンギュリエはまだ極一部のルートでしか流通していないが、今後変わっていく模様。
参考文献:Ruinart – Trois Siecles de Champagne, Patrick de Gmeline (2004)
2024年1月1日記