鴨のマグレを「発明」した男、アンドレ・ダガンの世界

アンドレダガンの著作Le Nouveau Cuisinier Gascon
「Le Nouveau Cuisinier Gascon」 André Daguin (1981)

 鴨のマグレ、マグレカナール、マグレ ド カナール( Magret de canard )をご存知でしょうか。フォアグラを取り出した後の鴨の胸肉です。フランスではとてもポピュラーな食材で、どこのスーパーでも売っています。この鴨の胸肉を、牛のレアステーキのような火の通し加減で食べるのがフランスでは一般的。フォアグラは古代エジプト時代からつくられていたのですが、鴨胸肉をレアステーキの様に食べる方法は1960年代に始まりました。それはフランス南西部オッシュ Auchの元2つ星シェフ、アンドレ・ダガン André Daguin(1935-2019)によるところが大きいのです。彼が現代の鴨のマグレの調理法を「発明」したと言われています。

フォアグラ用の鴨の解剖図
画像引用:CIFOG

 アンドレ・ダガンは7世代続く料理人の家に生まれました。彼の父は、オッシュのオテル・ド・フランス Hôtel de Franceというホテル&レストランを買収してオーナーとなっていました。アンドレ・ダガンもそこのオーナー・シェフとなっていきます。

アンドレダガン
アンドレ・ダガン André Daguin  画像引用:CIFOG
オッシュのホテルドフランス
オッシュのオテル・ド・フランス Hôtel de France  画像引用:OFFICE DE TOURISME GRAND AUCH

 オッシュ Auchの街はエアバスで有名なトゥールーズに近く、スペイン国境まで車で1時間、ジェールGers県の県庁所在地です。この地方は昔からフォアグラの産地として知られています。伝統的にフォアグラを除いた後の鴨の胸肉は、他の肉と一緒にコンフィかリエットにされていました。それらは冷蔵庫がない時代の重要な保存方法でもありましたが、他に美味しく食べる方法もなかったのです。フォアグラのための鴨の飼育は、20世紀前半まで衛生的に汚く、藁(わら)の上で育てるのが一般的。糞尿がそのまま藁の上にされて、放置されたまま。当然、虫が湧きます。結果として、その時代の鴨の胸肉は高温調理が義務でした。しかし、胸肉は鴨の中では最もMaigre(痩せた、脂の少ない筋肉質な)で、高温調理した場合、硬くパサパサの味になってしまいます。そのため、脂をたっぷり含んだコンフィやリエットしか美味しく食べる調理方法がなかったのです。アンドレ・ダガン本人が「祖父の時代は鴨の胸肉は高温調理するしか方法がなかった。父も『もし高温調理しなかったら、レストランのお客さんは病院送りだ』と言っていた」と語っています。

 第二次大戦後、鴨の飼育方法が大きく改善されたことを受けて、1959年アンドレ・ダガンは新しいフランス料理を自分のレストランで提供しはじめました。当時まだ24歳の若さ。その名前は、« Lou Magret» grillée sur la braise。これがマグレ Magretの名称が使われた世界最初の料理でした。マグレ Magretとは、メグレMaigret(痩せているという意味)のガスコーニュ方言で、それを料理の名前に取り入れたのです。血が滴る温度で焼き上げた牛ステーキのような調理方法は、鴨の胸肉にジューシーな旨味を与え、それまでとは全く異なる衝撃的な味わいでした。「一部の人は大絶賛し、残りの人は驚いて、鴨の胸肉と言われても信じなかった」と言われています。

フランス料理の一皿、マグレドカナールのポエレ
Magrets poêlés, fleur de sel et poivres en grains     画像引用:CIFOG

 この新しい試みは大成功し、彼のフレンチレストランは翌1960年にはミシェラン・ガイドの1つ星を獲得。1965年には「Magret de canard au poivre vert」というグリーン・ペッパーのソースを使用した料理を提供。彼は鴨のマグレ以外にも画期的なレシピを次々と送り出し、1970年にミシェラン・ガイドの2つ星を獲得しました。

 1960年代末、アメリカ人ジャーナリストRobert Daley(Bob Daley)が妻と共にレストランを訪れ、その時の話をニューヨーク・タイムズに寄稿しました。「今まで経験したことのない美味な肉を食べた。それはマグレという!」。この記事により鴨のマグレはアメリカ大陸に知られるようになり、フランスはもとより、世界中から彼のレストランに客が押し寄せるようになったのです。

 彼の鴨のマグレに触発され、多くの料理人がこの調理方法を用いるようになりました。それだけではありません。真空パックされた鴨のマグレは欧州のスーパー・マーケットで普通に売られる食材となっていき、一般家庭にも浸透していったのです。2016年10月の2つの世論調査で、「フランス人が最も好む肉料理のトップが鴨のマグレ」でした。それだけフランス人に好まれ、食されているのです。この鴨のマグレの普及の裏で、鴨の胸肉のコンフィはほぼ消滅しました(現在流通している鴨のコンフィはもも肉です)。アンドレ・ダガンのレストランだけで鴨のマグレが供されていた1960年代から、僅か50年足らず。彼はフランス料理、フランスの食文化を大きく変えたのです。

フランス料理の一皿、鴨のマグレ オレンジと栗を添えて
画像引用:CIFOG

 1986年フランスで新たな法律ができました。これによってMagret マグレとMaigret メグレは共にフォアグラ用の胸肉(脂身をつける義務があるが、細いささみ肉は除く)となり、マグレの名前が公式に認められました。それまではMaigret メグレのガスコーニュ方言でしたが、鴨のマグレがフランス中に広まったことで、マグレが一般名称になっていきました。これもアンドレ・ダガンがマグレという名称に拘って料理名を広めたことによります。

 アンドレ・ダガンにはもう一つの業績があります。彼は、液体窒素を本格的に使った最初の料理人なのです。1970年代にはレストランのデザートへ使用しており、エル・ブジのフェラン・アドリアが液体窒素を使用する遥か前のこと。1981年出版の彼の著作「Le Nouveau Cuisinier Gascon」の ≪ Le sorbet à l’eau-de-vie blanche ≫ には、液体窒素が使われたレシピが出ています。 アンドレ・ダガンが分子ガストロノミーの先駆者と言われる所以です。

アンドレダガン作のデザート:液体窒素を料理に本格使用した最初のレシピの本の写真
1981年出版の本にあるレシピ  ≪ Le sorbet à l’eau-de-vie blanche ≫ 1 リットルの液体窒素 Azote liquide が使用されている

 アンドレ・ダガンには3人の子供がいて、3人とも飲食業界で働いています。娘のアリアン・ダガンAriane Daguinはアメリカに渡り、フランスの食材をアメリカに輸入する起業家に。息子のアルノー・ダガンArnaud Daguinは、料理人として複数のレストランでミシェランの星を取得。その後コンサルタントに。彼は父と共著の本「1 canard, 2 Daguin, André et Arnaud Daguin, 2010」も出版しています。もう一人の娘であるアンヌ・ダガンAnne Daguinはパティシエになりました。しかし、アンドレ・ダガンのオテル・デュ・フランスを引き継ぐ子供はおらず、1997年に売却されています。

未調理の鴨のマグレ
画像引用:CIFOG

 最後に彼が残した鴨のマグレの焼き方のポイントです。

1) 予めオーブンを180度に設定する。
2) 冷たいフライパンに鴨のマグレを置き、バチバチさせない温度で、脂を溶かしながら焼いていく。
3) マグレをオーブンに入れる。その際に脂身側を上にする。時間5~6分。
4) 焼いた時間と同じ時間、肉を休ませる。

 アンドレ・ダガンは2019年に亡くなりました。残念ながら、彼の業績は日本では殆ど知られていません。しかし、彼が残した鴨のマグレはフランス南西地方のスペシャリテとなって、世界中に輸出されています。日本でも入手可能ですので、是非一度お試しください。

 追記 マグレMagretの認証 

フォアグラドフランスの3つの認証
画像引用:CIFOG

 2019年、フランスのフォアグラ業界団体CIFOGは、フランス政府の支援を受けて、検査・認証制度を始めました。マグレ・ド・フランス Maget de Franceは、卵からフォアグラまで全ての生産工程がフランス内で行われていることを示す認証です。詳細は「フランスのフォアグラの認証」のぺージを参考にしてください。

フランスのフォアグラの認証 の記事

フォアグラと相性のよいソーテルヌの現在を綴りました

参考文献
André Daguin ≪ Le nouveau cuisinier gascon ≫ (1981)
André Daguin ≪ Je pense, donc je cuis: Portraits & anecdotes ≫ (2014)

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