アラン・デュカス のハートを掴んだ ファイアンスリー・ジョルジュ と ヌヴェール 陶器博物館

1878年 Antoine Montagnon製、ヌヴェール陶器博物感所蔵の飾り皿 
1878年 Antoine Montagnon製、ヌヴェール陶器博物感所蔵の飾り皿 この工房 Antoine Montagnonは2015年に消滅。

アラン・デュカスのハートを掴んだファイアンスリー・ジョルジュとヌヴェール陶器の歴史

ヌヴェール陶器の歴史は、1565年にイタリア、マントヴァ公の息子であるルイ・ド・ゴンザグ( Louis de Gonzague)が、ヌヴェール公の娘と結婚したことから始まります。ヌヴェール公となったルイ・ド・ゴンザグが、イタリアから陶器職人コンラッド兄弟を呼び寄せます。彼らの活躍により、ヌヴェールは17~18世紀陶器で大きく栄え、「フランス陶器の首都」と呼ばれるまでになりました。陶器づくりに必要な粘土、モルヴァン山から採れる薪、といった原材料が入手しやすく、販売面でもフランス最大の河川であるロワール川の水利が大きく寄与しました。17世紀には12の工房で約1800人が働いていたそうです。この時代の貴族やブルジョワ達のテーブルを、ヌヴェール陶器が色鮮やかに飾ったのです。

ヌヴェール陶器は、当初はイタリアの影響を色濃く受けたものが多く、次第に聖書や神話をテーマにしたもの、東洋の影響を受けた作品もつくられるようになりました。その後は逸話が描かれたもの、フランス革命をテーマにしたものなどが現れます。こうした変化はヌヴェールの陶器博物館の素晴らしいコレクションで見ることができます。

フランス革命後の19世紀、ヌヴェールの陶器は厳しい競争にさらされるようになりました。イギリスから軽くて安い陶器が流入したこと、リモージュやセーブルの磁器に押されたこと、が理由としてあげられています。ヌヴェールの工房は徐々に減少。2007年には4つになり、現在では、ファイアンスリー・ダール ド ヌヴェールFaiencerie d’art de Nevers とファイアンスリー ジョルジュFaiencerie Georgesの2軒を残すのみとなってしまいました。

ファイアンスリー・ジョルジュ のキャロル・ジョルジュとジャンフランソワ・デュモン
ファイアンスリー・ジョルジュ のキャロル・ジョルジュとジャンフランソワ・デュモン。手にしているのがパレスホテル東京のレストラン「エステール」で採用されたABYSSシリーズの皿
 画像引用:La Montagne

消滅が危惧されたヌヴェールの陶器の世界に、2010年以降新しい風が吹いています。ファイアンスリー ジョルジュFaiencerie Georgesは歴史ある家族経営の工房ですが、跡を継いだキャロル・ジョルジュの大きな変革が注目を集めています。1人娘の彼女は、パリに出て広告代理店のアートディレクターとして働いていました。夫のジャンフランソワ・デュモンは労働雇用省の公務員。2人共パリで安定した生活を送り、実際パリでの生活を愛していたのです。一方、彼女の両親の工房は引退時期になっても買い手が見つからず、伝統ある工房の閉鎖が迫っていました。パリでの安定した生活から、田舎の衰退産業に戻ることは簡単な決断ではなく、大きな葛藤があったそうです。2009年、2人はパリのピザ屋で食事をしていました。その時にインスピレーションが沸き起こったのです。そこにあった平凡なカラフェ(水差し)をもっと美しく装飾できないかと。そのイメージを陶器にしてコンクールに出品したところ優勝。これに手応えを感じた2人は、2010年に工房を継ぐことになりました。

かつてヌヴェールでは、結婚祝いや洗礼祝いに陶器を贈る習慣がありましたが、時代と共に消滅。花や鳥が描かれた伝統的な陶器も売れなくなりました。そこでキャロル・ジョルジュは、現代的なデザインに方向転換しました。当初、地元の人達には理解されませんでしたが、キャロル・ジョルジュのアート・センスはすぐに反響を呼び、パリ、ミラノ、ジュネーブの高級フレンチレストラン、イタリアンレストランから引き合いがありました。特に大きかったのが世界中で多数の星付きレストランを経営するフランス料理界の巨匠、アラン・デュカスからの注文でした。

ファイアンスリー・ジョルジュ のキャロル・ジョルジュ
画像引用:Region Bouorgogne-Franche-Comte

2019年1月にパリで開催されたメゾン・エ・オブジェに出展したファイアンスリー ジョルジュは、アラン・デュカス・グループのアート・ディレクターであるオリヴィエ・ゲノ Olivier Guénotの目に留まります。「20年この仕事をしていて、この青色(ブルー・ド・ヌヴェールと言われる)は見たことがない。他にはない青色で、とても気に入った。一般に青色の皿は料理人泣かせ。料理と皿の新たなハーモニーが重要になってくる。」と彼は語っています。アラン・デュカスは、ABYSSという名の深く青い陶器のシリーズに魅了され240枚発注。パレスホテル東京にある彼の1つ星レストラン「エステール」で使われています。さらにアラン・デュカスのブノワ京都でもファイアンスリー・ジョルジュの別のシリーズの陶器が採用されています

青い皿がファイアンスリー・ジョルジュ のアビス ABYSS。パレスホテル東京レストラン「エステール」でのフランス料理の一皿
ファイアンスリー・ジョルジュ のABYSS。パレスホテル東京レストラン「エステール」での一皿 画像引用:La Montagne

ファイアンスリー・ジョルジュは2021年10月7日パリに初出店。500年の歴史を持つヌヴェールの陶器は、形を変えながら現在も息づいています。

● ファイアンスリー・ジョルジュ Faiencerie Georges

ヌヴェール店 : 7 Quai de Mantoue, 58000 Nevers
パリ店 : 18 rue charlot, 75003 Paris

● ファイアンスリー・ダール・ド・ヌヴェール - クレール・ベルナール
Faiencerie d’art de Nevers – Clair Bernard

88 Av. Colbert, 58000 Nevers
1 rue Sabatier, 58000 Nevers ヌヴェールの観光案内所の隣に売店があります。

ファイアンスリー・ジョルジュのヌヴェール店と工房
ファイアンスリー・ジョルジュのヌヴェール店 隣に工房がある

ヌヴェールの 陶器博物館 & 美術館 Musée de la Faïence et des Beaux-Arts de Nevers

ヌヴェールの陶器博物館

ヌヴェール陶器は17~18世紀に大きく発展し、往時「ヌヴェールはフランス陶器の首都」と言われました。1840年に開館したこの博物館では約2000点のヌヴェール陶器を所蔵。様々な陶器が時代毎に展示されています。

絵画では、中世の絵画を中心に、ヴラマンクやユトリロの絵もあります。

Musée de la Faïence et des Beaux-Arts de Nevers
16 Rue Saint-Genest, 58000 Nevers

17世紀末のヌヴェール陶器、
17世紀のヌヴェール陶器
19世紀末のヌヴェール陶器、ティーポット
19世紀末のヌヴェール陶器、ティーポット
19世紀につくられたAntoine Montagnon製のヌヴェールの飾り皿
ヌヴェールのAntoine Montagnon製の飾り皿、1884年製造、二羽の鴨が描かれている
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